生まれ

粟田秀作(あわだしゅうさく)33と言います。

京都でソングライターをしています。

生まれは兵庫の真ん中くらいにある宍粟市というところで育ちました。

時が止まってるかのような田舎です。

しかし、田んぼから吹き抜ける風は生まれてくるずっと昔のような気持ちにさせてくれ、

またそこに住むホウネンエビやおたまじゃくしは、心の隙間をいつも埋めてくれました。


気質

明るく面白いやつだったと思います。

自分で言うのもなんですが、やさしかったと思います。

夏の終わりの帰り道、アスファルトに落ちている蝉を土に戻してあげたりしていました。


縁側がある田舎の木造建築の家で育ちました。

そして大学にも行かせてもらい生活面では不自由なく暮らさせてもらいました。

しかし内情は穏やかならものではありませんでした。

父は厳格な公務員で、気に入らないことがあると頻繁に暴力をふるう人でした。

僕たち(兄弟)はいつもビクビク怯えながら育ちました。

また母の心も殺されていました。

(後にこれが大人になり僕の心の病気に繋がってると判断される。兄も何年も引きこもりになる)

しかし、今考えると父も悪気がなく、仕事上心を殺されそうなっていたのでしょう。


音楽との出会い

高校時代です。

同じソフトテニス部の駄菓子屋の三木君がゆずをギターで弾き語りしており一緒に歌わせてもらったことがキッカケとなりました。

時折姫路駅にみんなでストリートライブをしてマクドナルドのポテトを食べて歌っていたのはとても素晴らしい思い出です。


大学時代

大学では京都に来て以来鴨川でストリートライブをすることが増えました。

数組しか止まりませんが、歌うことが楽しくその中での出会いはたまらなく刺激的でした。

中には大手企業の社長であったり、京都の土地柄もあり芸妓さんなど幅広い出会いがありました。

気がつけば、当時組んでいたアコースティックユニットはかなり人気になっており、大手のレコード会社から声がかかるようになりました。


卒業後はその大手レコード会社のオーディションに受かり、アーティストとして2年ほど所属しました。

しかし、レコード会社とアーティストの立場はあまりに弱いもので金銭面や言われたい放題の音楽、様々葛藤から事務所を出ることにしました。

その後はフリーで企業や結婚式などで演奏し生計を立てきました。

知りあいやファンのみなさんを頼りに数年後には大手のホテルや京都マラソンなど権威ある場所で演奏できるようになっていました。

しかし、音楽で生きていくということは、様々な気持ちの葛藤がありましな。

自身が本当にやりたい類の音楽と社会とのニーズ。

作品、技術、ミュージシャン達との関係、マーケティング、本当の自分らしさ。生活。

キリはありません。

そんな想いと葛藤しながら28の時に会話が思い通りにできなくなってしまいました。


会話が思い通りにできない

スタバでコーヒーさえまともに頼めない。

多くの病院に行きましたが原因も分かりません。身体はどこも悪くないのです。

そして治すため東京に行き、サラリーマンをしながら治療の可能性を探りました。そしてできる限りの音楽活動をしました。

心理学や脳、自己啓発など、思いつくことは片っ端から試しましたが、悪化する一方でした。

東京での生活、初めてのサラリーマン、失恋、そしてこの症状。

もうボロボロでした。

しかしいつも音楽はそばにいてくれました。


謎の症状の正体

東京2年目。そしてその症状の名前をつきとめます。

名前は、吃音症という症状でした。

現代の医療では明確な理由も治療法も不明で基本的には治りません。医師自身吃音の方は多くいます。

(それを逆手にネットでは、悪質サイトが普及しています。)

多くのことかそうであるように、吃音症にもかなり世間に誤解がありその辛さは言葉にできません。

様々な症状の重さ、種類があるのです。

そしてさらに2年。

いつもライブを聴きにきてくれる医師に信頼できる専門家を紹介してもらい、ついに原因をつきとめます。


原因

まさか、幼いころの家庭環境だったとは夢にも思いませんでした。

社会に傷つけられ、暴力を奮っていた父。

心を奪わた母。

育てられた僕。

どうにもならない理由がそこにはありました

幼い頃の環境が大人になっても、影響を与えるものなのです。


治療

そして何百という価値観や行動の項目のゲージを下げていきます。

無意識の価値観や行動は怖いものだと思いました。

幼い頃から順に年表を作り、イメージの力を使うなどした治療で、かなり改善していきました。


そして現在

今はほぼ完治しました。

この経験から、学んだこと。

暴力を振るっていた父が悪いわけではない。

時代や社会が作り上げた価値観に洗脳されてしまっていたのです。

僕らはなぜこの世に生まれたのでしょうか。

僕が出した答えは、神様は僕たちを遊ばせてくれてるということです。

だから何かを好きになるという感情を与えてくれたのです。

年齢と共に失望は増えます。

大切な人を失ったり治らない病気だったり、環境や価値観の相違からの孤独だったり。

しかしそんな時、音楽が僕を救ってくれたように、心が本当に求めてるものを叶えようとすることは、きっとあなたに希望を与え救ってくれるでしょう。

時代や環境に流されず、自分の心が求めてることをして下さい。

それを揺るがなく持ち続けてください。決して忘れないで下さい。

一般的に言われる幸せ。 経済的に豊かだとか、そういうものに惑わされないで下さい。

あなたが本当に心から求めてることは何ですか?

僕はこの体験で学んだことを自身の音楽と共に伝えていきたいと思っています